年末調整はサラリーマンのボーナスです!
なべです。
一昨日は父の命日でした。
もう17年も前の事になった。
この話は日記で書いた気がするなぁと思い見てみたけど2005年以来書いていなかった。
意識して避けていた訳ではないんですけどね。
父は国鉄職員だった。
民営化の時、国鉄を辞めて商売を始めた。
きっと悩んだ末の決断だったと思う。
当時は民営化に際しての大リストラがあり「オレが辞めれば誰かが一人残れる」と言って国鉄を辞めた父。
みんなが足の引っ張り合いをするのを見るのが嫌だったのもあったらしい。
それでも父は私たち家族を十二分に養ってくれた。
うまい話で誘われた仕事や慣れない商売をしたりしても頑張っていた。
けどそのストレスでガンになったのかなぁとも思う。
私も今仕事で大変な状況だが何としても家族だけは守っていかなくちゃと思う。
小さい頃は父が怖くて仕方なかった。
だけど小学校中学年からはいつも父と一緒だった。
土日は二人で釣りに出かけて、地域の少年ソフトボールは父が監督、私がキャプテン。
反抗期も大して無かった私は、一般的には父との関係も良好だった。
父の葬儀では20歳そこそこの若造が挨拶をし、みんなに立派だったと言われたっけ。
それをきっかけにやっと自立したと評してくれた上司もいた。
(それまでは「アホが服着て歩いてる」と言われた事もw)
そんなイイ関係だった父との間で、一つだけ後悔がある。
飲みに行ける機会がほとんど無かった事。
私が20歳になる直前にガンが見つかり、21の時に亡くなったから。
それでも一度だけ飲みに行った事がある。
私が20歳だった頃父が手術をした。
その手術の後、体力が回復した時期が少しだけあった。
確か21歳になったばかりの頃、近所のカウンターばかりのバーに行った。
ママさんの顔も思い出せない。
やっと覚えたビールをいっぱい飲んだ。
何となく古めの歌を歌わなきゃって思ってチャゲアスの「ひとり咲き」を歌った。
「お前は歌が上手いな」
そういって笑った父を今でもはっきり覚えている。
私はかずもんと酒を飲み交わすのが夢の一つだ。
小さい夢と思われるかもしれないが、父と果たせなかった事を息子としてみたい。
かずもんが成人するまであと10年。
それまで健康で元気ななべでいたい。
ビールを飲みながらそんな事を思っている秋の夜。