年の瀬の真っ只中で風邪ひいちゃったなべです。
のどが痛いのなんのって…。
さて、今日で2015年も終わりですね~。
早いなぁ…。
仕事面では非常に成功した一年でした。
自分で引っ張ってきた仕事がしっかり成功してくれました。
手柄はしゃしゃり出てきた奴が持ってったつもりになっていますがw
まぁ分かってくれる人は分かってくれるので好きに騒いでいただきましょう。
その人は来年大きな仕事をするらしいので、しっかり失敗してくれるでしょうから。
さらに年明けちょっとしたら組織を異動する事になります。
一応『栄転』です♪
ちっさい会社に入社して社会人になってからウン十年。
必死にあがいてきましたがなんとかひとつの目標に辿り着きました。
モチロンこれからのほうが問題ですから、さらに気を引き締め、気合を入れて行こうと思います。
この話をした時、友人の皆さんが自分の事の様に喜んでくれたのが本当に嬉しかったです!
その節はありがと~!
で、プライベートですが…。
今年は本当に苦労した1年でした。
春先には母が大腿骨骨折で入院・手術。
そして秋には大動脈解離と大病を2度も経験する羽目に。
私が好き勝手に仕事をしてこれたのは母の力添えのお陰でした。
いつも年末には「とりあえず皆が元気で年末を迎えられて…」なんて書いていましたが、その大事さを心から痛感する1年でした。
来年は何しろ心穏やかに過ごしたいですσ(^_^;
やるべき事を一生懸命やり、挫折に苦しみ、達成感に喜ぶ。
そんな普通の事を普通にやる1年にしたいと思います。
今日はあと年越し蕎麦食べてオシマイ。
まずは来年に向けて心穏やかに年を越えたいと思いますw
皆さんも良いお年を(*^▽^)ノ
忘年会のBINGOの景品で『ほめくり、修造!』が当たりました!!なべです。
今年は勝ち組w
以前からずっと見たかった映画を見てきました。
トルコと日本の合作『海難1890』です。
公開前パンフレット全ページ掲載は初めてですねw
気合の入れ具合もご理解頂けると思います(*´艸`*)
話は1890年、日本に親善大使団として訪れたエルトゥールル号の海難事故から始まります。
実に500人以上が犠牲になる大惨事の中、貧しい漁村の人々の献身で69名が助かります。
村人は助かった人々のために自分の分を削り暖かな食事を提供します。
寒さで凍える人には服を脱ぎ素肌で抱きしめ温めました。
遺族の気持ちを慮って被害者の血にまみれた遺品を一つ一つ丁寧に磨き上げます。
そんな姿に最初は頑なだった生存者の高官も心を開きます。
そして1985年。
イラン・イラク戦争下のテヘラン。
サダム・フセインはイラン上空を飛行する全ての航空機を無差別攻撃すると宣言しまう。
猶予は48時間。
外国人は次々とテヘランを脱出していきますが、日本政府は救援機を飛ばすことも出来ず現地の日本人は取り残されていきます。
最後の救援機はトルコのものでした。
テヘラン日本大使館の要望を受けたトルコ政府は2機の救援機を飛ばすことを決めます。
しかしやっとに思いで辿り着いたテヘランの空港にはまだ逃げ遅れていたトルコの人々があふれています・・・。
ほとんどストーリーを書いてしまいましたw
上のパンフレットにも書かれている内容です。
ほとんど史実に基づいたものですから結末もその通りです。
しかしもう私は映画のあいだ中、涙が止まりませんでした。
この映画のテーマにもなっている『真心』がひしひしと伝わってくるのです。
このエルトゥールル号海難事故、トルコでは教科書にも出ているという話もあるくらいメジャーだそうです。
日本ではそれほど知名度は無いんじゃないかな?
ちなみにこの作品の最後にはトルコの大統領もコメントを寄せています。
ちょっと緊張しながらも日本への友情を語る姿にもジーンとしました。
いがみ合う国々が多い中、無償の真心で友情を育んできた両国の国民に心から敬意と感謝の意を表します。
皆さんボーナスでホクホクですか?至極普通のなべです。
12月9日、金星探査機「あかつき」が5年前の失敗を乗り越え金星の周回軌道に乗ったことが発表されました。
5年前に故障したメインエンジンを使わずに軌道へのせるのは至難の業だったそうです。
通常、周回軌道に入るためには、惑星の後ろから近づき減速して周回軌道に入ります。
しかし今回は金星を追い越し前に回りこんで減速しつつ軌道に入るという方法が取られました。
他の方法ではどうやっても金星に墜落してしまう結果になったそうです。
2003年12月9日。
当時、火星を目指していた「のぞみ」という探査機がいました。
多くのトラブルを抱えながら火星に迫ったものの、どうしても不具合の復旧が出来ませんでした。
そしてこの日、火星への墜落回避を確実にするための軌道変更を行いました。
つまり火星の周回軌道へ入ることを『諦めた』のがこの日だったのです。
それから12年後。
「あかつき」は惑星探査機として日本で初めて惑星周回軌道に乗ったのです。
この2機に関わった人物がいます。
木村雅文さんという軌道運用のスペシャリストです。
「のぞみ」の運用時は最後の最後まで可能性を信じて対策を検討したそうです。
「あかつき」の初期スタッフにも名を連ねていました。
あの「はやぶさ」もこの方が大きく関わっています。
しかし2009年8月11日に49歳という若さで亡くなります。
「あかつき」の打上げも「はやぶさ」の帰還も見ることはありませんでした。
「あかつき」には一辺12cmほどのプレートが搭載されています。
それには、仲間たちから木村さんへの寄せ書きが刻まれています。
木村さんの想いも仲間たちの想いも、金星まで送り届けられたと思うと胸が熱くなります。
ちなみにその後「のぞみ」は火星の軌道の近くで太陽を周回する『人工惑星』になりました。
きっと今も弟の「あかつき」をそこから見守っているに違いありません。
何となく思ったことなどを綴ってみる。写真ネタいっぱい!