やっちまった(>_<)

またやっちゃったなべです。

もうさ、自社での作業じゃないんだから自制しなきゃって思っていたんだけど・・・。
見ちゃったんですよね、泣けるコピペ。
客先で仕事中に。
ええぃ!おまいらもくらいやがれです!

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俺は高校までずっと都立で給食だったし、大学も学食やらコンビニやらで
済ませて来た。
母親の手作り弁当の記憶なんて、運動会か遠足、それも遠すぎて覚えてない。
就職しても、社食が当たり前で妻も俺に弁当を作ったことはない。
俺自身も、弁当箱持って歩くのも荷物になるし弁当への思い入れも何もなかったある日
今年中学生になった娘が、「はい。オヤジさん(←娘は俺をこう呼ぶ)」と
バンダナで包まれた弁当箱を手渡した。
「なんじゃ?これ?」と俺が言うと
「だって、今日オヤジさんの誕生日じゃん」と・・・・。
俺、絶句。
「何だ、お前弁当作ってくれたのかよ。食えるのか?」と、恥ずかしさのあまり悪態をついてしまった。
だが、娘は「一生懸命、早起きして作ったよ」と笑顔だった。
素っ気無い顔しときながら、気になって弁当箱の中身を会社について確認したら
ご飯には、鮭フレークでハートが描いてあった。
おかずはハンバーグと、ウインナーと、ベーコンポテト。俺の好きなチーズも入っていた。
胸が詰まった。
2450グラムと小さく生まれてきた日のこと、夜中熱を出して夜間診療所に駆け込んだこと
運動会の徒競走で転んだこと、父の胸に幼い日の娘の姿がよぎる。
あいつ、こんなに大きくなりやがって。
食べた弁当の味は、しょっぱい、勿論俺の涙の味だ。
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事情があって生活保護を受けている母子家庭の知人の子供が
夏休みに法事で東京へ来た。

「おじさんがディズニーランドへ連れてってあげるよ」と言うと
頑なに固辞するので、子供のくせに遠慮するなあと思って理由を訊いたら
「だって高いから」とだけ言うと、その子は下を向いてしまった。

「じゃあおじさんと、明日どこかドライブへ行こう」と次の早朝連れ出した。

首都高から湾岸線、浦安で降りるとTDLの看板があり、その子は
まだきょとんとしていたが、駐車場へ入るあの角を曲がったときの
その子の驚きと感動の歓声が忘れられない

持ちきれないくらいのおみやげを買ってやり、
5万くらい使ったが、馬にぶち込むよりはいい使い方だと思った。

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俺の近所に住んでた爺さんの話。

一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。

そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。

卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

      「若、ご立派になられましたな。」
もう意識が戻ることはないと聞かされていた俺、そしてソレを言った当の本人である看護士。
二人して悲鳴をあげるほどビックリした。付き添いで来ていたオカンなどは腰を抜かしたほどである。
直ちに医師が呼ばれ「じい」の意識回復の検査が行われたが、その頃には再び「じい」の目は閉じられていた。
そして結局、それっきり目覚めることのないまま半月後、「じい」は永遠の眠りについてしまったのだった。

後に医師から聞かされた話なのだが、「じい」が脳に負った障害は重く、そこから意識が回復した例は
聞いたことがない、というかまずあり得ないということであった。
だがあの場にいた俺は、オカンは、看護士は、確かにその《あり得ない事態》を見た。そして聞いたのだ。
「アンタに会うために目を覚ましたんだろうね。」 とは腰を抜かしてたオカンの談である。
そして「じい」の残してくれた言葉に恥じぬようになろうと心に誓ったものの
結局こんな時間から2chに入り浸ってるような、天国の「じい」に申し訳ない俺なのであった。

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20年前ぐらいの前の話

当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。
子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。
それでもどん底だった・・・

俺は中学卒業してすぐ働きに出た。
死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。

1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。
飯食いに行こうって話になった。
メニューの漢字・・・読めなかった。
読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。
同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。

無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。
店員、固まってた。
クスクスって笑い声も聞こえてきた。
そしたら同級生
「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」

・・・
店出た後、同級生が一言
「うまかったな」って言った。
「仕事がんばれよ」って言ってくれた。

泣けてきた
心の底から人に「ありがとう」って思った。
そいつは今でも親友です。

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6歳の娘がいます。
昨年の夏に第二子を妊娠しましたが
10月に流産してしまいました。
あまりに突然だった為、手術の日まで実感がなく
夢なんじゃないかと思っていました。

手術が終わって次の日
娘が熱心にお絵かきをしてました。
いつもは飽きてすぐやめてしまうのに。
出来上がると私の所に駆け寄ってきて

「これ!赤ちゃんにかいたよ!」と。

見ると拙い字で

「あかちゃんまたきてね」

言葉が出なかった。

涙が溢れて仕方なかった。

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小学生のとき、足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
 みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
 ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
 空が、綺麗なんだよ。
 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
 そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
 これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。

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あっちゃとこっちゃと

カオスな感じになってまいりましたなべです。

まずは太りました!
夏場-10kgの75kgまで落ちた体重が今朝は78kg。
完全に太っております。
ベルトもきつくなりました。

原因ははっきりしているのです。
朝のボートをさぼっているから。

さぼる理由もはっきりしているのです。
前の日飲み過ぎw
飲み会が無くても飲み過ぎ。

これも理由があります。
タバコを止めてからやる事が無く飲んでると楽しい。
さらにタバコを止めた事で何かを食っている時間が増えました。
食べ物が美味しい~とかではなく、口が暇だから。

これだけ原因が揃えば太らない訳がないですな。
ただ、今まではタバコやめるのが優先だったので気にしていませんでした。

そろそろタバコの無い日常が普通になってきたのでボートもバリッと復活しようと思います(^^)
今日はビール一本で止めておきますねwww

珍しくおねだり

ゴルゴ所長のオクタン貰ってきました。なべです。

かずもんとお買い物に行くと、かずもんが珍しくおねだりし始めました。

「とうさぁん。ボク欲しいものがあるんだけど聞いてくれる?」

そこは100円ショップだったので、こっちも太っ腹www
どれだどれだと聞いてみると

image

これ(営業中の札)www
何に使うんだよwww
宿題やっている時はこの状態らしい。
で、宿題が終わると

image

こうなるそうですwww

「今日はもうおしまい!!」
という断固たる決意が感じられますな。

不眠解消

昼食ったラーメンがあまりにも不味くてビックラこいたなべです。

今朝はとってもよく眠れました(^^)
昨日の不眠が嘘のよう。
深く眠ってさっぱり目覚めとっても爽快な気分です。

これで、禁煙が影響した『身体的な中毒症状』は全てなくなりました。
『精神的な中毒症状』でも思い当たる所は無くなりましたねぇ。
強いて言えば昨日は酢昆布食べていたのに、今日は買ってきたのに食べてない事くらいですかね。
まったく吸いたくもならないし、吸っている所を想像しても何とも感じない。

そこで思ったんですが・・・。

禁煙の成功の基準ってなんですか?w

そこで周りの人を思い出してみたんですが
「おれ、禁煙に成功したぜ」
ではなく
「おれ、タバコ止めたんだ」
って言いますよね。

で、『禁煙 成功』でぐぐってみたらこんな事を書いているサイトが。

『「吸いたいかどうか」 を問題にする時点では、 まだタバコの拘束から逃れていないということ。 「関心がなくなった」 時点で初めてタバコから開放される。』

なるほど。
あとは継続する事で時間が解決してくれそうです(^^)

経過

新勤務地、遠いぃー!なべです。

禁煙話は書かないと大見得切りましたが、やっぱり書かせて下さいw
だってネタの宝庫なんですものー!
まず今の状況ですが、無事に禁煙4日目に突入しております。

禁煙開始したのが日曜の15:00。
昨日の15:00過ぎ(48時間経過時)から臭いに敏感になりました。
タバコを吸ってきた人がはっきり分かります。
これは強烈な臭いですな。
もともと自分も吸っていたのでイヤな臭いという訳では無いのですが、強い臭いである事は間違いなし。
今の勤務地は廊下の先に喫煙所があり区切りがないんです。
こういう形式だと、非喫煙者には辛いものがあるでしょうね。

恐らく今まででもっとも継続の危機にあったのは昨日の午前中~お昼過ぎでしょう。
もうね、ヨシッと仕事に一区切り付く度に立ち上がって喫煙所へ向かいそうになるw
タバコ持ってないのにね。
それを何とか乗り越えられたのは『酢昆布』のおかげ。
こいつ、素晴らしい。
禁煙される方には超お勧め。酢昆布。
出来れば乾燥物がいい。

もう中毒症状はクリアかな~。
頭痛や倦怠感は無くなったし。
昨日はビールも飲んだんですが特に吸いたいとも思いませんでしたしね。
ただ、昨日の夜は不眠が強く出ました!
これは半端じゃないです。
10分おきに目が覚める。ちっとも眠った気がしない。
多分、禁煙だけじゃなく職場の変化によるストレスなんかもありそうですが。

今朝かずもんにお願いして「今日も眠れなかったらくっついて寝かせてね」って言っておいた。
「どうぞどうぞ」だってw

って事で今までのまとめ
一番辛かった事
 初期:『そこまでして止める理由って何よ』という悪魔のささやき
  →逆に吸う理由って何よ、中毒終われば我慢も要らなくなるよ、と考える
  →もうダメだ!と思ったら、あと1時間だけ我慢してみる。その間仕事を必死でやる。結果的に忘れてる。
 現在:『不眠』
  →時間が解決してくれるかな。きっと脳が元気になって活性化しているんだと考える

一番嬉しかった事
 初期:朝起きた時喉が痛くない!!これには感動した。
 現在:どこ行くにしても『えっと~喫煙所は…』とか『タバコ持ったかな』など考える必要が無い。
  →時間にしてもお金にしても結構無駄だったんですね。
   :チューが(きっと)美味しいwwwうほっ楽しみ。

P.S.
禁煙している時って禁煙の事色々調べると思うんですがその中で注目すべき事発見。
ってかこれを全面にアピールすれば男性の喫煙率は3分の1以下に下げられる!

禁 煙 は イ ン ポ 改 善 に 効 果 有 り 
 ~男性よ、自信を取り戻せ!~