年の瀬の真っ只中で風邪ひいちゃったなべです。
のどが痛いのなんのって…。
さて、今日で2015年も終わりですね~。
早いなぁ…。
仕事面では非常に成功した一年でした。
自分で引っ張ってきた仕事がしっかり成功してくれました。
手柄はしゃしゃり出てきた奴が持ってったつもりになっていますがw
まぁ分かってくれる人は分かってくれるので好きに騒いでいただきましょう。
その人は来年大きな仕事をするらしいので、しっかり失敗してくれるでしょうから。
さらに年明けちょっとしたら組織を異動する事になります。
一応『栄転』です♪
ちっさい会社に入社して社会人になってからウン十年。
必死にあがいてきましたがなんとかひとつの目標に辿り着きました。
モチロンこれからのほうが問題ですから、さらに気を引き締め、気合を入れて行こうと思います。
この話をした時、友人の皆さんが自分の事の様に喜んでくれたのが本当に嬉しかったです!
その節はありがと~!
で、プライベートですが…。
今年は本当に苦労した1年でした。
春先には母が大腿骨骨折で入院・手術。
そして秋には大動脈解離と大病を2度も経験する羽目に。
私が好き勝手に仕事をしてこれたのは母の力添えのお陰でした。
いつも年末には「とりあえず皆が元気で年末を迎えられて…」なんて書いていましたが、その大事さを心から痛感する1年でした。
来年は何しろ心穏やかに過ごしたいですσ(^_^;
やるべき事を一生懸命やり、挫折に苦しみ、達成感に喜ぶ。
そんな普通の事を普通にやる1年にしたいと思います。
今日はあと年越し蕎麦食べてオシマイ。
まずは来年に向けて心穏やかに年を越えたいと思いますw
皆さんも良いお年を(*^▽^)ノ
皆さんボーナスでホクホクですか?至極普通のなべです。
12月9日、金星探査機「あかつき」が5年前の失敗を乗り越え金星の周回軌道に乗ったことが発表されました。
5年前に故障したメインエンジンを使わずに軌道へのせるのは至難の業だったそうです。
通常、周回軌道に入るためには、惑星の後ろから近づき減速して周回軌道に入ります。
しかし今回は金星を追い越し前に回りこんで減速しつつ軌道に入るという方法が取られました。
他の方法ではどうやっても金星に墜落してしまう結果になったそうです。
2003年12月9日。
当時、火星を目指していた「のぞみ」という探査機がいました。
多くのトラブルを抱えながら火星に迫ったものの、どうしても不具合の復旧が出来ませんでした。
そしてこの日、火星への墜落回避を確実にするための軌道変更を行いました。
つまり火星の周回軌道へ入ることを『諦めた』のがこの日だったのです。
それから12年後。
「あかつき」は惑星探査機として日本で初めて惑星周回軌道に乗ったのです。
この2機に関わった人物がいます。
木村雅文さんという軌道運用のスペシャリストです。
「のぞみ」の運用時は最後の最後まで可能性を信じて対策を検討したそうです。
「あかつき」の初期スタッフにも名を連ねていました。
あの「はやぶさ」もこの方が大きく関わっています。
しかし2009年8月11日に49歳という若さで亡くなります。
「あかつき」の打上げも「はやぶさ」の帰還も見ることはありませんでした。
「あかつき」には一辺12cmほどのプレートが搭載されています。
それには、仲間たちから木村さんへの寄せ書きが刻まれています。
木村さんの想いも仲間たちの想いも、金星まで送り届けられたと思うと胸が熱くなります。
ちなみにその後「のぞみ」は火星の軌道の近くで太陽を周回する『人工惑星』になりました。
きっと今も弟の「あかつき」をそこから見守っているに違いありません。
やっと寒くなってきたのでエアコンを入れられますね!
エアコン入れば洗濯物が部屋干しで渇きますね♪なべです。
本日、母が退院しました!
ご心配をお掛けしましたが無事に家までたどり着きました。
病院では夜中周りのお年寄りたちがうるさかったらしく寝不足が続いていたそうで…。
今日はユックリノンビリ眠ってくれることでしょう。
ただ、不整脈からかちょっと元気が無い…。
寝不足もあるかもしれませんがw
様子を見守って行きたいと思います。
かずもん文化祭が終わって皆でファミレスで打ち上げだそうで♪
私はスーパーの焼き鳥で晩酌wなべです。
無事に手術を乗り越えた母のその後の経過報告です。
手術が終わってから1日、麻酔で眠らせたままの状態でした。
最初の山は『意識が戻るか』という点にありましたが、1日の後無事に意識が戻ってきました。
その後翌日には喋れるようになり、歯を磨き、その翌日にはお粥を食べられるようになりました。
最初、非常にむくんでいた顔や手も徐々に落ち着いてきました。
喋るとすぐに息切れしていたのも昨日の日曜日には色々話せるようになりました。
そして本日無事に一般病棟に移ることが出来ました。
色々心配してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
お陰様で無事にここまで来ることが出来ました!
この感謝は忘れません。
昨日話ししていて一番面白かったセリフ
母「わたしの病気は結構大変だったみたいだね」
ちょwww大変どころの話じゃないですがなwww
まぁ本人はそんなもんなんだろうね。
無事に家に帰ってきたら色々細かく話してあげようw
病院は書類が多すぎると思います!なべです。
前回のエントリの続きです。
入院した翌日。
お見舞いに行ってみるとまだ吐き気が治まらない状態。
けど前日よりかはずっと顔色が良い。
チョットずつ良くなっていくのかな~っと思っていました。
そのあとにCTスキャンで検査をすることに。
しばらく時間が掛かるので今日はここまでかな、と私は帰宅しました。
かずもんのお世話wもありますし。
家に着く直前、姉から電話が。
「検査で大変な病気が見つかった。すぐに手術しないと命に関わる」と。
ただ入院していた病院では設備や技術の都合で手術できないと。
しばらくして川崎にある血管のスペシャリストの病院へ。
私はそちらへ直行。
まだ学校から戻っていないかずもんにも連絡しそちらへ直行させました。
病院へ先着し待っていると1時間くらいしてかずもんと姉も集合。
母もしばらくしたら到着したようですが、結局会えないまま手術室へ直行しました。
その後手術の説明と承諾書のサインを10枚以上記載。
病名は『急性大動脈解離』とのこと。
心臓から出ているすぐの部分の動脈を人工血管に置き換えると。
もし心臓の弁が悪ければそこも人工弁に。
さらに冠動脈が悪ければバイパス手術も必要になるそうです。
なにしろ開てみないとわからないと。
合併症や副作用など色々考えて「五分五分とは言わないけど」とのこと。
そして、長い長い手術が始まりました。
始まったのが19時。
かずもんを一度家まで送り届け晩飯を食べて私は病院へ。
病院では家族の控室がありそこで待機。
何かあれば手術室からは連絡が来るが、こちらからはアクセス不可。
いつ連絡が来るのか分からない中待ち続けるのななかなかの苦行です。
夜中1時位に状況の説明に看護師さんがやってきました。
そしてさらに待機は続きます。
ついに3:30、執刀医がやってきて「無事に終わりましたよ」と。
結果的には弁もバイパス手術の必要も無く当初の人工血管置換術だけで済んだそうです。
さらに1時間後、ようやく母に会えました。
沢山の管と機械に囲まれて眠っていました。
今後は1日ほどこのまま麻酔で眠らせて、安定してきたら意識を戻していくそうです。
意識は無事に戻るのか、術中の影響で脳やその他の臓器にダメージはないのか。
そして出血はしないか。
まだまだ乗り越える山はありますが…。
まずは一番最初の大きな山である『手術から行きて帰ってくる』を無事にクリアしてくれました。
しばらくは入院生活が続きますが…。
生きていればなんとかなる!と思って、皆で力を会わせて頑張っていこうと思います。
ご心配してくださった皆様、ありがとうございました!
まずは良いご報告が出来てホッとしています。
何となく思ったことなどを綴ってみる。写真ネタいっぱい!